徒然に 309
昨年の4月の終わり頃だったでしょうか、キノが4月20日から5月いっぱいまで休館になっていたときです。
ミニシアターの大先輩、50周年を迎えた岩波ホールさんから、岩波ホールさんが発行している「友」夏の号にKINOのこと書いてみませんかというお話をいただいて、
はじめはとても私には荷が重いと思ったのですが、ぽっかり大きな穴が空いていて、私がいるのは映画館の空白の時間の中でした。KINOのこと知ってもらえればと思い、書いたものです。
映画とともにKINOが育っていった、そして私自身も育てられた、そんな感謝の気持ちでした。
27日(土)から「ソビエト時代のタルコフスキー」特集が始まりますので、写真はタルコフスキーで。
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『映画に育てられて』―1
「お元気ですか?」「元気でいますよ」そんな会話がなんて嬉しいのだろう。
1日1日嬉しいことを見つけています。
以前、映画を観終わった若いお二人が「映画館で見る映画、好きなった」とお話しながらパンフレットを見ている様子に、
「ありがとう」と声をかけたいくらい。
その時ふと、私もそうだったなと学生時代に映画を見るようになったときのことを思い出しました。
当時は大きな会場で週末になると様々な自主上映がありました。いつも若い人たちであふれ、立ち見になる中でポーランド映画やヌーヴェルヴァーグの作品などに出会いました。
知らなかった世界に興奮し、良くわからないことも、そのわからないことがもっと面白くて・・・そうして出会ったのがアンドレイ・タルコフスキーでした。
「惑星ソラリス」から「鏡」へ、スクリーンから風がそよいでくるような、ひんやりした水が指先に触れてくるような、
からだの中から音が静かに踊りだしてくるような・・こんなに心の奥底に浸み透ってゆくような生理的な感覚ははじめてでした。
「映画」のもつ豊かさに驚きました。
それからは内なる宇宙への旅、タルコフスキーへの旅が始まりました。
「ストーカー」や「ノスタルジア」、遺作となった「サクリファイス」、どれもが刺激的でこれほどまでに鋭い感性を持つ映像作家の世界に魅了され、
初期の作品「僕の村は戦場だった」「ローラーとヴァイオリン」「アンドレイ・ルブリョイフ」にいたってはどうしても見たくて自分たちで自主上映したほどでした。
「私が幼い時に、「神さまは、本当にいるの?」と父に尋ねたら
「信ずるもののために、神は存在する。信じないものには、存在しない」と父は答えました。同じように、観客は映画を自分なりに鑑賞し、個々の内的世界に従って解釈してゆく、
そのようなものを作りたい」というようなことをタルコフスキーがお話されていていました。
どのシーンも細部まで緊張が張り詰めていて、見逃したくないという思いが強かったのですが、その言葉でとても自由になったような気がします。
枯れた木に水をやる父と子、映画の冒頭のこのシーンでは心がしめつけられるようにある言葉が私の中に浮かんできます。
「たとえ明日が滅びるとわかっていても 私はりんごの苗木を植えるでしょう」―
この言葉は私が小学校を卒業する日の朝、普段あまり話さない父が「父さんの好きな言葉だ、今日、ひろみにこの言葉を贈る」と言って話をしてくれました。
大きくなった私は寺山修司の実験映像の中にこの言葉を見つけて、「あっ・・!」と幼かった時に父がくれた言葉を思い出したのです。
後でルターの言葉だと知りましたが、今では唯一父と共有する特別な時間のように思っています。その言葉が映画の冒頭のシーンで蘇ってきたのです。
国を出て、帰れない故郷への深い想いや憂いと悲しみを抱え、
一貫した独自の感性で、世界の終わりではなく、祈りの言霊を残していったタルコフスキー。
こうして映画を通して、世界を学んでゆく人生体験が始まったのかなと思います。
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※次回はKINOのはじまりです。
※写真は「惑星ソラリス」です。