徒然に 287
連休2日目、今日は雨、朝早くから高校生の女の子二人がやってきて「「異端の鳥」2枚ください」と元気です。こんな若い子たちが見てくれるっていいな、と嬉しくなり。
「スペシャルズ」を見ようと早起きしたおふたりは時間が間違っていたことに気づき迷ったあげく「異端の鳥」をご覧に。
雰囲気が違いすぎる2作品だったので受付さんと大丈夫かな?心配していたのですが、上映が終わって少ししてから
「すごく良かった」「初めびっくりして緊張したけど、3時間あっという間だった」と興奮気味にお話いただいて、ホッとしたり。
ご近所のパン屋さんへ行くと「少年の映画、お客さんたちがここでお話していて・・」と、巷で話題が広がっている?!「異端の鳥」はかなりな衝撃作です。
かくいう私も初めて見た時にその衝撃で目が離せないくらい緊張してしまいました。
もう二度と見ることはないだろうと思うくらい忘れられない作品になりました。
でもこうしてキノで上映が始まり4週目に入りましたが、時間が立つと、
シーンシーンがふと蘇ってきて、
少年と一緒に見たあの体験を思い返し、もう一度確かめたくなってくるのです。
35ミリフイルムで撮られたモノクロームのシネマスコープ、
圧倒的な映像の力、美しさがあるからかもしれません。
人が一番見たくない、誰しもにあるだろう恐れと暴力。
少年は黒髪で黒い瞳、まつげが優しくカールしていてオリーブ色の肌をしていました。
戦禍の中、両親は子供の安全を思い小さな村に疎開させました。
そこの村びとたちは金色の髪で透きとおるような瞳をした白い肌の人たちでした。
そんな小さな社会に少年は放り込まれ、預かってくれていた老婆が突然亡くなりその家も燃えてしまったのです。
身寄りをなくした少年の旅が始まります。それは想像以上に過酷なものでした・・
観終わったお客さまから「これはどこの国?」と聞かれ
「東欧のどこかの国としか原作にも記されていないんです。
話される言葉も国が特定された映画にならないように、
スヴェック・エスペラント語という人工言語を使用しているのだそうです。でもスラブ諸国の人たちにはわかる言葉なのだそうですよ」とお話したり。
この映画には聞きたいこと、確かめたいこと、話したいことがたくさんありそうです。
監督は、イェジー・コシンスキの小説「ペインティッド・バード」に強く影響を受け、映画化されるまでに11年の歳月をかけたヴァーツラフ・マルホウル。
「脚本家・監督・プロデューサーとして、本を読み終えた後、これは私が撮影しなければ、と心して決断した。
『異端の鳥』は戦争映画でもホロコースト映画でもなく、
時代を超越した普遍的な物語。
暗闇と光、善と悪、真の信仰と組織化された宗教、その他の多くの相反するものに苦しむ物語であり、私は答えを求めて一人戦うことを余儀なくされた。
そこにはまさに魔法があった。
暗闇の中でしか光は見えない。
悪に立ち向かう中で、善と愛が必ず存在しなければならないという揺るぎない信念にたどり着いた。少なくとも、私は原作をそう読み取った。
あらゆる恐怖を通して輝くことが希望であると信じる。私の挑戦は観客をその旅に連れてゆき、希望に導くことだった。
それは私にとって生死を分けるほどの挑戦だった」。
まだ幼い少年の瞳は全ての出来事を見つめる。
逃げるには、立ち向かうには、過去がもつ時間が少なすぎた。
言葉をなくしても、そらさず、見ることでせいいっぱい闘った。
・・・・
「昔々、ヨルダンの川のほとりにあるユーカリの森のそばで、
父と母は家庭を持った。
時は過ぎて、美しかった母の髪は白くなった。
けれど、川の流れは今も変わらず、ユーカリの森とともに、
静かに佇んでいる」
エンディングでヘブライ語で歌われるナオミ・シェメル作詞作曲の「ユーカリの木立」(1963)。
この映画に登場するルミドラを演じた女優さんの歌声が
3時間ちかくに渡って少年と旅した私達の心をやさしく清めてくれるようでした。
★「異端の鳥」上映中(11月27日まで予定)