徒然に 283
お客様が「やっぱり“ナマの現場”はいいね、こうして話ができるのだから」と嬉しそうです。
「オンラインだとなにか足りないって思っていたけれど、これだったんだって思いました」
「こんなドラマあったんですね、すごくよかった。また第2回、やってください」
70年代のテレビドラマが、こんなに今のわたしたちの心を惹きつけるのはなぜでしょう?...
10月29日札幌に来ていただいた是枝裕和監督、
小学校の頃から東芝日曜劇場が好きという珍しい子だったと自身でおっしゃっていましたが、中でも北海道で制作されたHBC作品は特別だったそうです。
プロデューサーの守分寿男さん、脚本の倉本聰さんは憧れの人。
今回は、富良野で倉本聰さんにお会いして当時の作品のことなど多岐にわたってお話をされたそうで、
「10代の頃に憧れていた人に、今、この年令で会うということ、意識しました。
作り手のコダワリが見えて、穏やかないい時間だった。
富良野から札幌へ・・・いま達成感と脱力感でいっぱいです」と微笑んでとても満足そう。
そんなところから「ああ!新世界」をご覧いただいたみなさんとのお話が始まりました。
映画は監督も場内後ろのところでご覧になっていました。
「倉本さんの脚本は日付のあるものとして描く。放送日を考えて、1時間がどう流れてゆくか、この作品ではドヴォルザークの「新世界」、コンサートの時間の中でドラマを作っていっている。
この時期の倉本脚本は、中年男の自分の中にかつてあったものが消えてゆく、それにどう折り合いをつけていくか、が描かれていて
黒澤明の「生きる」であれば、人生も終わりに差しかかった人間が奮起して何かを成し遂げる。
しかし倉本脚本はなにかを成し遂げることなく終わっている。
TVドラマをどう考えているのか、象徴的な作品です。
ラストシーンの終わり方が大胆で、
「北の国から」前夜の倉本作品といえるでしょう。
また「幻の町」は最高傑作。「りんりんと」は、この作品がなかったら「前略おふくろ様」は生まれなかった。
僕は「ばんえい」を小学生の時にTVで見て「何だ、この馬?!」みたことのない強烈な”馬“で、この作品で初めて倉本さんを知ったんです。息子に父親が越えられていく話だった」
出てくる出てくる、様々な作品名が・・あれもこれもと、見たくなりますね。
脚本、演出家、役者が現場で闘っている、つくることが楽しい、そんな70年代の勢いを感じます。
「大学に入ってからは倉本聰、山田太一、向田邦子作品の本を読み漁っていたけれど、
間違いなく作り手としての僕のDNAには確実に刻み込まれている」とも。
―つづく