徒然に 257
今日は少しキノからお出かけしてみます。
ある人が「検温して、名前を書いて、明かりに向かって歩いてゆく。もうそこから映画が始まっているような、そんな不思議な感覚を覚えた」と言いました。
暗闇のなか明かりの方へ向かって中に入ると、壁4面の布スクリーンに映像が写っている。
産まれてまもない赤ちゃんが産湯につかって気持ちよさそう。瞳が輝いている。...
あるTVで「赤ちゃんの瞳はどうしてこんなにキラキラしているの?」そんな疑問に
産まれたばかりの赤ちゃんは目を守るために水分より脂質のバランスが多くて、目に水分が溜まっているためにキラキラ輝いているのですよ、と答えているのを思い出しました。
4つのスクリーンには子どもたちの表情やしぐさがこの上なく無防備にやんちゃに映っていたり、お母さんは忙しそうに洗濯をしたり、はたきをかけてお掃除したり、
運動会では出番を待つ少女のキリッとした表情が勇ましくて、走り出すとまっしぐら、
カメラで撮っているお父さん(かな?)娘の晴れ舞台を逃すまいと追いかける。
家族のお正月、餅つき、美味しそうに食べるごはん、夏休みの海・・・ここには家族の特別な嬉しい時間がいっぱいで、小さな宝石箱のよう。
カメラで撮る人は写っていなくても、ファンダー越しのその優しい眼差しが伝わってきます。
お父さんが大事そうに息子を抱き上げるシーンではきっとお母さんが撮っている、
3人のほほえましい光景が目に浮かんできます。
ふとそのとき、ぽたり。天上から水のしずくが落ちてきて
水槽に波紋が広がる。
水槽の中もスクリーンのように、しずくが落ちるたびに様々な波紋が揺らめいて、
中に沈んでいる細く小さなフイルムの窓が光を浴びて見え隠れする。
見上げる天上にはきっとミライがいるのかな。
「ボクの記憶はどうだい?君もいまからボクの記憶になるんだ、これからもずっとだよ」
と下を覗いて話しかけてくるようだ。
ミライは嬉しいこと、ひとが生まれて、だんだんおとなになって、
人生の祝祭の気持ちをたくさん記憶している。
そんな物語を思い浮かべてみたら、今いる私たちの時間がとても愛おしくなった。
部屋を出て外側から眺めてみると、そこにはたった今いた私ではない私が部屋を訪れて
そのシルエットがまた新しい物語を紡いでいる。
作家の意図とは関係なくひとり歩きして、「記憶のミライ」は私の中では「ミライの記憶」になってしまいました。
シアターキノの代表、つれあいの中島洋が映画館を軸に映像にまつわる仕事に携わり、
25年という時間を経て
新たな表現の場に立ち返った作品です。
映されている映像は札幌に暮らす市民の方たちが撮りためた8ミリフイルムから
編集されたものです。
今のようにデジタルではない時代、8ミリフイルムの1リールは3分、
カメラを回しはじめて撮る3分という時間はとても貴重なものでした。
だから家族にとっても、自分にとってとても大事な時間を記していったのですね。
人生のケとハレでいえば
ここには愛おしいほどのハレの物語が紡がれています。
★中島洋 記憶のミライ
札幌市民交流プラザ2F SCARTSスタジオにて
7月20日(月)まで
ちょっとお出かけ、映画のように、ゆっくり時の流れをお楽しみください。