徒然に 247
「この映画を見ると熱量が上がりますね、見ておいてよかった」とお客さま。『三島由紀夫VS東大全共闘』は本日が最終日です。
ときは1969年5月13日、学生・社会運動の嵐が吹き荒れ、超満員となった東大駒場キャンパスの900番教室。
1000名を超える学生たちの中に三島由紀夫はやってきた。...
自我と肉体、暴力の是非、時間の連続と非連続、政治と文学、観念と現実における美・・・
互いの存在理由を巡って激しく、真摯に議論を闘わせた―
そして討論の2ヶ月後!という早さで7月25日緊急出版された本は、たちまちベストセラーに。伝説の討論として語り継がれてきた「美と共同体と東大闘争 三島由紀夫・東大全共闘」。
この本を映画の公開に合わせてキノで取り扱いたかったのですが、全て売り切れ、増刷の予定なしと言われ、とても残念だったのですが
上映が始まってから、出版社から急遽増刷が決まりましたと嬉しいご連絡が入って、キノでは上映5週目に本は届きました。(その後映画館は休館になってしまったので手にされた方は少なかったのですが)
映画を見たあとに読むと臨場感は半端ではありません。
読みながら映画の900番教室に舞い戻ったような興奮感を覚えます。
50年という歳月を経て、今なお、今だからこそかもしれません、熱い!
これは大事な“熱さ”だと思いました。
では三島由紀夫、おくればせながらですが討論スタート!
・・・・
「今、私を壇上に立たせているのは反動的だという意見があったそうで、
まあ反動が反動的なのは不思議はございませんので、立たしていただきましたが(笑)、
私は男子一度門を出ずれば七人の敵ありというんで、きょうは七人じゃきかないようで、
大変な気概を持ってまいりました。
先日4月28日に私はほうぼう見て回ったのでありますが、あの日の午前中、
諸君の、いわゆる体制側の人とちょっと会っておりました。
それほど偉い人じゃないのですが、体制側の優秀なる人―
この人が言うには
「どうも困ったもんです、あんな気違いみたいな連中が騒いで、まあこういうのはほんとうにバカバカしいことでございますね」と。
私はちょっと嫌な気がしました。
これは諸君に阿諛するわけではない。(中略)
私は、諸君を気違いとは思いませんので、やはりこうしてでてまいりました。
ともかく言葉というものはまだここで何ほどかの有効性があるかもしれない。
まあためしに来てみようぐらいの気持ちを持っております。
ところで、その時に私は政府当局者の顔を見ていてふと思ったのですが、
4月28日の午前中に、彼らの目の中にはなんら不安がありませんでした。
これは私も非常に敬服したのですが、もし私が全学連であったらどう感じるだろうか。
私はモーリヤックの書いた「テレーズ・デケルドゥ」という小説をよく思い出すのです。
あの中に亭主に毒を飲まして殺そうとするテレーズという女の話がでてまいります。
なんだって亭主を毒殺しようとしたのか。
愛していなかったのか。これははっきり言えない。
はっきり言えないけれども、どうしても亭主に毒を盛りたかった。
そしてその心理をモーリヤッはいろいろ追求しているのですが、
最後にテレーズは、「亭主の目の中に不安を見たかったからだ」というのであります。
私はこれだな、と思うのでありますが、諸君もとにかく日本の権力構造、体制の目の中に不安をみたいに違いない。
私も実はみたい。別の方向から見たい。
私は安心している人間が嫌いなんで、こんなところで私がこんなことをしている状況はあんまり好きじゃない ・・」
と、どんどん面白くなってゆくのですが、ぜひ本を読んでみてください。
そして、明日からは「ミシェル・ルグランとヌーヴェル・ヴァーグ、そしてアンナ・カリーナ追悼」です。
「女と男のいる舗道」「女は女である」「シェルブールの雨傘」「ロシュフォールの恋人たち」4作品を上映します。
三島由紀夫と東大全共闘の60年代、フランスヌーヴェル・ヴァーグの60年代、ともにいた60年代、 浮き立つ気持ちを押さえられません。