徒然に 225
『男と女』を作ったとき、私は26歳だった。
当時アヌークはフェデリコ・フェリーニ監督の作品に、
ジャン=ルイはロジェ・ヴァディムの作品に出演し、スター俳優として活躍していた。
当時、私は6作品連続で制作し、どれも興行収入的には失敗に終わっていた。それで『男と女』は、最後の作品だと思いながら作った。...
これが最後だと思うと、人は自分が持っているもの全てを注ぎこむ。失うものは何もないからだ。
『男と女』のプロジェクトが動き出す前、すでに脚本30ページほど書き進めていたが、誰も賛同してくれなかった。
プロデューサーも、配給会社もだれひとりとして、私のアイデアに応じるものはいなかった。
『007』シリーズの1作目が公開された頃で、映画業界に携わる人間は誰もが『007』のような作品を作りたがっていた。
そこで、私は自ら借金をして、ひとりでプロジェクトを始めることにした。
この作品が失敗したら、他の仕事を探さなければ、と思っていた。
一組の俳優と女優の映画ではなく、一組の男女についての映画を作りたい、と考えていた。
アヌークとジャン=ルイにも伝えたのだが、この違いはものすごく大切だった。
全てのシーンを撮り終えると私たちは、もしかしたらいい作品ができたかもしれない、と思った。
しかし、世界中でこれほど有名な映画になるとは、このとき考えもしなかった。
愛について悩んだことのある人なら、だれでも『男と女』に共感できる。
この映画は、愛は時に素晴らしく困難ということを示した、説明書のような存在になった。
とクロード・ルルーシュ監督。
『男と女』でカンヌ国際映画祭のグランプリ、アカデミー賞では最優秀外国語映画賞受賞、アヌーク・エーメは主演女優賞にノミネートされた。
そして、1966年という記念すべき年からから53年後、同じキャスト、スタッフが再結集するという奇跡が起きた。 (つづく)